世界観について考える
先週は主催しているオンラインプロジェクトの開催日でしたが、あるクラスで「世界観」についての質問がありました。
お仕事的な世界観、対外的な世界観ではなく、「私という人間が個人的に持つ世界観」を聞かれ、頭がフル回転。
というのも、「どこかの時点で定めた世界観」や「コピー的な世界観」ではなく、今この瞬間においても、魂の根底から支持し続ける概念という意味でも、少しのブレもない一点を口にしたいと思ったからです。
恐らく、そこにいた全員が同じ気持ちだったのではないかと思います。
私が持つ世界観
結果、私の中にさも当然のように存在しつ続けている絶対的な世界観の核は、『美』と『豊かさ』でした。
具体的に言うと、
世界は美しい。私も他者も美しい。
世界は豊かさに満ち、私も他者も望む豊かを享受する。
なんといっても、私は寵愛されている。
というもの。
(「寵愛」は2019年のテーマ/世界観でしたが、これは根付き、既に私の一部になったので、敢えてあがらず)
また、私個人に向けて考えた場合の「豊かさ」には
①金銭的(物質的)豊かさ(欲しいものや望む体験を手にすることができる、不安や不快や不足などのあらゆる「不」を遠ざけることができる、心が指し示すものに対して寄付やサポートができる)
②時間的豊かさ(自分一人の時間がある、自分の望むことに時間を使える、時間に追われることがない)
③人間関係の豊かさ(リスペクトできたり、信頼/成長し合える方々と心を通わせている、必要な時に必要な出逢いを享受できる)
④心身の豊かさ(精神性を高め、感動や感謝に満ち、心が自由であること。健康であり、余力があること)
が包括されています。
現実的に起きている問題やニュース、状況に興味がないわけではないのですが、
ユング先生の「抗うものは、はびこる」
マザー・テレサの「反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ」
という言葉の指し示す真実を、私は私サイズで実感し、痛感し、目の当たりにもしてきた人生でもあるので、「望まない状況」ではなく「望むもの」に焦点を当て続けることを信条としています。
(上記はあくまで私の選択であり、「望まない状況を改善したい!」が魂の選択である方はそのように、「何もせず徒食したい」が根底からの欲求である方はそのように、それぞれ自分の真実を選ぶべし、と思っています)
世界観は現実に反映される
また、プロジェクトの中では、それぞれに世界観について語ってくださったのですが、そこから生まれる言葉や考えやオーラは、正に「その方そのもの」のように感じました。
前提があり、核があり、骨格があり、様々な思いや熱量や経験が追加された姿が、「今のその方そのもの」。
以前、『なりたい自分には、既になっている』という記事を書きましたが、既に召喚し、一体化しているように思えてならなかったのです。(実際、私もそのような感想をいただきました)
そもそも、人間の脳では世界の全て、現実の全てを認識することなど出来ず、理解した(と思っているの)のは、全情報量の100万分の1の世界だとも言われています。誰しも見たいものを見て、聞きたいものを聞き、それ以外は「ないもの」と処理してくのであれば、何を選ぶかというのは、より重要。
その上で、世界に対して、自分に対して、どんな世界観を持つか?は、正に人生を左右する鍵になります。
エネルギーを四方八方に霧散させず、否定するものを心の中に入れず、一方向に照射し続けて行動していると、知らぬ間に現実が動き出します。