怒涛の日々から学んだこと
昨年11月頃から思いもよらぬ出来事が連続し、怒涛とも呼べる毎日を過ごしておりました。
ようやくようやくその状況も落ち着き、心の凹みも戻り(むしろ膨らみ)、「やっぱり世界は美しい」と心の底から思える毎日となりましたが、その中で学んだことがあります。
それは、「状況に合わせて不安は生まれる」「状況に合わせて嫉妬は生まれる」ということ。
Aの道を行っても、Bの道を行っても
例えば、心の底から望んでいた状況や結果に進めなかった時、不安や嫉妬、他者と比較する視点やネガティブな言葉の声、自責/他責が大きくなることがあります。
ネガティブもポジティブも、希望も絶望も、休みたい心も頑張りたい心も、全ては陰陽のように「どちらも」持ち合わせているものですが、(頭では分かっていても)自分を苦しめる思考や循環に身を置いてしまうことがあるのです。悔やんでも仕方がないと分かっていても悔やんだり、「if」を考え続けてしまったり。
しかし反対に、心の底から望んでいた状況になったとしても、今度はそれ故の不安や嫉妬心、苦悩やジレンマが生まれることもあります。
「今の状態は最初に自分が望んでいたこと」であったとしても、実際にそうなってみると、また別のものが見え、別のものが心を過る。
つまり、Aの道を行っても、Bの道を行っても、自分の心が不安や嫉妬に敏感である限り、”それ”はいつまでも生まれ続けるということ。
諦め、手放す
それに気付いてからというもの、なにか一つ憑き物が落ちたように、不安や嫉妬から解放されました。「そんなものなんだな」と諦めがついたとでも言いましょうか。
いや、まだ焦げるような心持ちになる日はあるのですが、
「Aという結果になったら、〇〇の部分にジレンマを感じたり、モヤモヤしそう。故にBが理想だけど、実際にそうなったら××にイラっとするし、その期間も長そう。Cになっても、私はまた張り合うんだろう。つまり、どう進んでも私が視点を変えない限り、無限に何かがある」
とシミュレーションしてみることで、一息つく事が出来ます。
私の敬愛する宇野千代氏が、かつて嫉妬について「世の中の全ての女性と戦ってみなさい。へとへとになって、とても出来ることではないと分かるから」というような旨を本に書いていたのを覚えています。
確かにな、と思い当たる節があるからこそ、「そんなものなのか」と諦め、手放すことが出来る気がします。