なりたい自分には、既になっている
もう永らく、一部の打ち合わせや撮影/同行を除いては、全てをオンラインで完結させる毎日です。マンツーマンでのコーチングセッションやオンラインプロジェクトも含めて、そのようなスタイルになって久しい。
そんな今日も早朝からオンラインだったのですが、日々、ヒシヒシ感じるのは
「こうなりたい」という姿に、多くの方が既になっている
ということ。
肩書や役割、数字的な部分では現実的には<まだ>だとしても、それを語るその方を見ていると、既にその空気を纏い、器を持ち、度胸を持ち、「私は○○です」「私は○○をしています」と言われても、納得の印象しかないのです。
「可愛くなりたい」や「優雅さを身に着けたい」、「余裕を持ちたい」や「華のある存在になりたい」にしても同様で、既に多くの方が召喚しちゃっている笑
「イメージできることは現実化する」や「現実化する可能性があるから望む」とも言いますが、口に出して、他者に伝えられている時点で潜在意識や脳、感情や気持ちの面でも浸透しているのではないか、と思います。だから、本人の認識よりも先に「知らずとなっちゃう」のだろうなー!とも。
あるいは、口に出してみたりする中で「いや、違うかも」という違和感にも早く気付けるが故に、本当の願いに対する軌道修正が早いのかもしれませんね。
気付いていないのは自分だけ
オンラインプロジェクトでは、2回目~5回目にポジティブフィードバックも開催していますが、潜在意識は自分/相手、過去/現在を区別できないので、フィードバック側として参加したり、ただ聞いているだけで、私まで褒められモードに入ります。
そういった環境の恩恵を、誰よりも一番受けております。
ということは、私が方々で言っている「○○とか、△△がいいの!」的なことも、恐らく既に召喚している(既にある)し、「気付いていないのは自分だけ」が発動しているかもしれませんね。
具体的な現実化へのカウントダウンも、既に始まっている気がします。
となると、感謝しつつ、享受しつつも、もっと強気に望んでよい!という気にもなります。