あれから4か月
3月末のことですが、着付けも出来ないくせに着物(単衣)を購入してみました。
そこから4か月ほどが経ち、普段着の浴衣や着物であれば着られるように。
もちろん、上達の余地、伸びしろは有り余っていますが、「普段着の着物や浴衣を自分で着付け、外出し、必要であれば外出先で手直しし、帰宅する」ことはクリアかなと思っています。
少し前も浴衣で出掛けたのですが、ふとお喋りをしたお着物のご婦人に「さまになっているわね」と仰っていただき、嬉しく思ったのを覚えています。
足ることを知る。を上回る探究心
私は「着付け学校にお金を払うより、そのお金で自分の着物が買いたい」と思い、YouTubeをガン見しながらのスタートでしたが、最初は「着れた!」が本当に嬉しかったのを覚えています。「やればできるじゃん!」と。
しかし、着れたら着れたで
襟は寝かせたい。衣紋は抜きたい。格好いい!より”はんなり”艶感がほしい。シルエットはもちろん裾窄まりがいい!
と思うし、お端折りにも好みが出てくるし、脇のあたりも綺麗に収まっていてほしいし…と、欲や探究心が尽きずにおります。
仏陀は「足ることを知り…」と解いていますが、その真逆ですね。
キッカケや出逢い、タイミング
これまで、成人式や娘の七五三、和装で出席するパーティーを含め、何度もプロの着付け師さんに着付けてもうら機会があったのに、当時の私は「自分で着る」という発想がなかったため、着付け中も世間話をして過ごしていました。
今であれば、着付けをガン見し、あれこれ質問するでしょうが、当時は「なんとなく」。
しかし、キッカケや出逢い、タイミングが合いさえすれば、人はどうとでも変わるのだなと身の内に実感しています。
ハマれるもののある人生は楽しい
そして、着付けた瞬間は美しくても「2時間後は?」「5時間後は?」と考えると、奥深すぎてクラクラしています。自分にベストな補正についても。
娘には「またやってる」と言われ、私自身も美しい着姿の写真ばかりを見て、勝手にハードルを上げまくっているとは思うのですが、「何が好きで、何にハマり、何に熱を上げ、何を楽しみとするか」に、人の意見は関係ない。それが家族であろうと、関係ない。
自分の心を豊かに刺激し、癒し、熱中し、満たすものを見つけたのなら、そこに没頭すべし。恋愛と一緒で、その気持ちがいつか冷めてしまったとしても、それもまたよし。
ハマれるもののある人生は楽しいよ
ということを、背中で娘に伝える毎日です。
これは恐らく、「ハマれることのない、淡々とした繰り返される毎日」を永らく過ごしてきた体験からの、自分へのメッセージだとも思えます。