その時、その場だからこそ話題に上がること
昨日は、オンラインプロジェクト4期 の木曜日クラスの2回目の開催日でした。
今日は金曜日クラスの2回目の開催日ですが、お盆中ということもあってか、非常に少人数での開催となっております。
人数が多いからこそ、様々な意見や経験が聞ける楽しさがある反面、少人数だからこそ密に話せる楽しさもあり。
どちらにも楽しさや学びを見出していますが、「その時、その場だからこそ話題に上がること」には、やはり何らか意味があるように感じます。
感じ方が全て。だからこそのターゲット設定
そして、昨日ある素敵な女性が「感じ方」という言葉を口にされました。
また、SNSの話からは「どんな人と一緒にいたいか」「どんな人に来てほしいか」という話題にも広がったのですが、私の場合、「一緒にいたい人」「来てほしい方」というのは、
(自己評価として)私は既にそこそこ幸せなんだけど、更に幸せや豊かになったり、健康になったり、
素敵な仲間が出来たり、目標が達成されたらハッピーだよね!と考えている方/そういった思考に共鳴される方(潜在的にそう思っている人)
となります。
職業や年収、住まいや年齢などは本気でどうでもよく、ただ、この一点なのです。
といっても、生きていれば「毎日100%ハッピー!」ということはなく、誰の生活にも悲喜交々があり、酸いも甘いも嚙み分けて前に進むことになると思います。死別や離別に直面したり、思うように物事が進まないと焦れる日もあるかもしれません。
しかし、不満を持つ人はどんな環境や状況であったとしても不満を持ち、愚痴る人はどんな環境や状況にあっても愚痴るもの。
不幸が好きな人はいつでも不幸を拡大するし、怒りたい人は怒れるポイントを探して街を歩き、ネットサーフィンをする…
だからこそ、そんなこんながあるのは当然としても、「それでも幸せな感じ方をする(しようとする)方」「その中でも幸せを見出す(見出そうとする)方」と時間や経験を共有し、そういった方のニーズに応え、努力をし、精進し、お互い影響を与えあいたいのです。
「誰と?」「誰に?」は自分で決める
小学生や中学生の頃は、そこに集まった同級生やクラスメイトとの世界から逃れることが出来ませんでした。
結果、私は不登校になり、引きこもりになるのですが、大人になった今は、ちょっとだけ違う。時には全く違う。
だからこそ、「自分がどんな人と一緒にいたくて」「どんな人のために頑張りたくて」「どんな人と影響を与え合いたくて」を本気で考えていく必要があると思います。
どんなに強い念を放っても、どんな行動をしても、それらが成熟したり、予兆を感じるまでにはタイムラグがありますが、けれど、未来の自分のためにも、今の自分がしっかりと判断をしていく必要があると思います。