マイカーを手放す。その準備
私は19歳で免許証を取ってから10年以上ペーパードライバーであり、その後、娘の保育園送迎のために運転練習をして「真のドライバー」になったのですが、娘が小学校に上がってからというもの、自分で運転しない月が数か月以上になることも増えました。
そもそも車自体にも愛着がなく、何一つカスタマイズしないオーナーでしたし、「動けばいい」ので擦っても気にしないタイプなのです。しかし、いざという時に自分の車があるのはやはり便利と思い、マイカーを地味に維持していたのですが、この度、手放すことに決めました。(現時点では時期調整中)
今後、主人の不在時に車が必要な際にはタクシーに乗ることになると思いますが、マイカーの月間/年間の維持費よりも、タクシーの月間/年間乗車料金の方がずっと安いことは明白。(タクシーに乗らない月も余裕である)
さよなら、マイカー。そして、いつの日かまたゴールド免許に戻ります。
何らかの終了/卒業/縁切り
上記のお話にも通じるのですが、5月末くらいから、物に対する価値観が変わり、手放すことが続いています。こちらも同様で、あらゆるものに対して「自分に必要なもの」「自分に必要なサイズ」「自分に必要なスペック」が急に明白になった!という感じ。
また、これまでも所持品は多くはなく、家の中のものは把握していたつもりではあったのですが、いやいや、「私の眼は節穴か!」というほどに、宙ぶらりんな物たちがあることに気付いたのです。きっとこれまでは見えていなかったのでしょうね。
けれど、ある瞬間に気付いてしまう。気付いてしまうと、偽ることがもう出来ない笑
それ以降は、「なんとなく」「いつか」「いざという時に」「必要な気がするから」というものを、自分が納得できる方法で手放しております。意識的にも無意識的にも、既に必要のなくなった何らかを終了させ、何らかから卒業し、何らかと縁切りしているのだと思います。
未来の保証
何かを始める際には勢いや感情、直感で突き進めたとしても、好きだったり思い入れのあったもの、頑張ったものを終わらせるためには「理由」や「言い訳」が必要だと言います。
が、理由や言い訳を見つけて踏ん切りをつけたとしても、未来の保証などどこにも見つからないのが現実。故に、未来にはいつだって飛び込むしかないし、挑むしかないし、扉を開けてみるしかない。
物を捨てながら、そんなことを考えておりました。
意図せず訪れる自分自身のモデルチェンジは、こうして表層に現れ、現実を変え、精神の宿主(私)自身をも驚かせます。けれど、そんな自分の変化に逆らわないのが、風通し良く運気に乗るコツだとも感じています。「幸せ」以外の選択肢を除いていけば、悪い着地はしないと信じています。