嫉妬心
人は誰しも「嫉妬」したことがあると思うのですが、この嫉妬心というのは、時にコントロールが難しいもの。気付けば、相手や状況、事象に感情的になり、関係性や信頼を壊してしまうこともあります。
そして、多くの場合は相手の問題ではなく、自分自身の問題であることも特徴です。
が、この嫉妬心をコントロールできない限り、相手が誰であろうと、状況が変わろうと、自らの胸の内に燃える嫉妬心に振り回され、安定した関係の構築やポテンシャルの発揮が難しくなることも。
かのシェイクスピアは、「喜怒哀楽の激しさは、その感情とともに実力までも滅ぼす」と言っていますが、そこにはもちろん、嫉妬からなる感情や言動も含まれていると思います。
私の抱える嫉妬心
なんて言いつつ、私も嫉妬心の塊だったことがあります。
恋愛相手の人間関係に嫉妬し、私よりも出世している人に嫉妬し、私よりも立ち回りの上手い人に嫉妬し、私よりも才能のある人に嫉妬し。
渦中を過ぎれば「自分のことに集中しなさい」「嫉妬している間、手も頭も止まっているのだから」と思えるのですが、けれど、その時には狂おしいほどの嫉妬心に苛まれ、理性的に切り離すことがどうしても出来ないのです。
が、ある時、「この嫉妬心は、私の人生を狂わせる」「折角築いた信用や信頼を壊す」ということを実体験としても痛感し、嫉妬心をなくすには?にフォーカスすることになります。
異常な関心から、不思議に開放される
心理学やメンタルをはじめ、様々な本を読む中で、私に最も響いたのは宇野千代さんの書いた「幸福は幸福を呼ぶ」という本の中にありました。(私は中学二年生の半ばから本格的な不登校に入りますが、宇野千代さんの本が生きる上での基本的バイブルでしたが、そこに回帰しました)
この本の中では恋愛や結婚生活においての嫉妬心について書いているのですが、
全世界の女性を相手にマラソン競争をしている間に、全く、文字通り、くたくたにへたばってしまう。
おかしいことを言うようだけれど、何事をするにも、文字通り、くたくたにへばってしまうと言うことは、それ自体救済だといえる。とても競争は出来ない、競争することではなく、競争しても無駄である、と分かった瞬間に、あれは何と言うのだろう、画期的な経験と言うのかも知れない、憑き物がおちたようにけろっとする。この瞬間から、相手に対して持っていた異常な関心から、不思議に開放される。
とあるのです。
これを読み、若かりし頃の私は、嫉妬心を感じる全ての事象に思い切り嫉妬しまくり、くたくたになりました(笑)。
そして、嫉妬の対象となるAさんを遠ざけることが出来ても、別の角度からBさんが現れ、Bさんと戦っている最中にもCさん、Dさんが現れ、自分が成長しない限り、嫉妬する状況が続き、疲弊し、鬼の形相になっていくことも知りました。
それ以降も(現在においても)嫉妬することはありますが、しかし、この一文を思い出すことによって、心持ちや焦点が切り替えが出来るようになりました。
自分の人生を生きる
もちろん、紙とペンを用意して、自分が今、何に嫉妬し、どう感じているのかを明確にすることもおススメです。
嫉妬心とは、自分自身のルールや概念を破る(破られる)可能性のある時に生じる不安や不満、怒りを併せ持った感情なので、その定義や許容範囲を書き出し、再チェック/再認識してみることも重要。
その上で、それらが自分が無意識のうちに定めたルールであり、法律であり、当たり前だと俯瞰的に感じてみることもよいですし(相手には相手のルールがある)、相手とのルールがあまりに違う場合には「離れる」という選択肢もあり。
そして、「いつ、どうしてそのルールが出来たんだろう?」「そのルールは改正すべき?更新すべき?」と、自分に問うことで、心に新しい風が吹き流れることも。これは、恋愛や結婚生活だけでなく、仕事や活動にも通じる考え方だと思います。
自分の人生を、生きましょう。