癒しの核心に触れる時間
ここ最近、プライベートでもお仕事でも様々なことがありました。
私自身、どうにかこうにか奮起し、鼓舞し、けれどどうにもチカラが出なかったり、自分の発する生命力が弱まるのを感じたり…と目まぐるしかったのですが、だからこそ「癒しとは何ぞ」「無心とはなんぞ」の核心に触れることが出来たようにも感じます。
ある時、過去の日記を読み返していた際に「傷付き、苦しんでいる時に書いた文章は美しい」と感じたことがあったのですが、それもまた健在で、プライベートすぎる内容が故にお披露目は出来ませんが、繊細な表現で心境を吐露し続けていました。
この時の痛みや疲れもまた、未来を切り開く丹力の一つになってほしいと願うばかりです。
人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている
そんなこんなな毎日の中で、「みんな疲れていると想定する」という概念が強まりました。
もちろん、元気な方もパワーに溢れてどうしようもないという方もいらっしゃるのですが、しかし、多くの方は既に「頑張っている」「疲れている」。
既に頑張りすぎなくらいに頑張り、取れない疲れを抱え、それでも切々と日々を歩む様は、伊集院静氏の「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」という言葉の通り。
そう考えると、人に自分に少しだけ優しくなれるのではないかと思うこの頃です。