My Bestを見つける
ここのところ、自宅でフレンチトーストを作ることにハマっています。元々、フレンチトーストは大好きですが、自分で作るのは20年以上ぶり。
作り方自体は簡単なものですが、
・どこのバターをどのくらい入れるのがベストか?
・パンはどんなパンをベストに感じるか?
・牛乳と豆乳、どちらが好きか?
・シロップはどの種類が好きか?
・シナモンパウダーはあった方がいいか?なくてもいいか?
・ホイップはあった方がいいか?なくてもいいか?
・フルーツは一緒に乗せるか?別添えか?
などを一つ一つ検証していったら、『My Best』を見つけたくなったのです。
結果、「朝食として食べる」とした場合には、TOPの画像くらいの厚さ、軽さが私にはベストだと判明。ようやくひと段落しました!
世界に一つのオットマン
先日は、所要にて母が立ち寄ってくれたのですが、娘の依頼により、娘専用にして大のお気に入りの椅子(正しくはオットマン)の穴やほつれ(経年劣化)を、手縫いで直してくれました。
私の母と私の娘とは、ソウルメイトのような仲の良さであり、芸術や創造においては師弟のようでもあります。
母が自宅から持ってきてくれたフェルトと、私が所持していたワッペンなどを、あーだこーだ言いながら配置し、縫い付け、布用ボンドでくっ付けたたと思うのですが、おかげで世界で一つだけの可愛いオットマンに!
我が母ながら、こうした手仕事をササっと出来る女性は素敵だな、と、しみじみ。いつまで経っても、学ぶところが多くあります。
時間の経過を見守る楽しさ
また、私自身のことで言えば、苔盆栽を室内で丁寧に育てていたら、屋外組とは違って青々して背丈を伸ばしていたり、
購入時にはあまり状態の良くなかった長寿梅も、葉っぱの総入れ替えの後に沢山の花を咲かせてくれたり、
「時間の経過を見守る楽しさ」「成長過程を共に歩める楽しさ」を与えてくれています。
しかし、それもこれも対比から成る
しかし、それもこれも、私の場合には『いかに効率よく物事を攻略するか』『いかに効果的に事をなすか』『いかにシンプルにそぎ落とし、必要な個所に意識を注ぐか』のような日常があってこその対比の効用だとも感じています。
あくまで私の場合は、ですが、スローライフだけであったら、恐らく私は飽きてしまう。かといって、効率や合理性だけを求めていくと、成果は出せても心が枯れていってしまう。恐らく長くは走れない。「それ」は「それ」で止まり、「それ」以外の価値観や感性を排除してしまう可能性もある。
かつて読んだサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」という本の中に
一見すると関係のないテーマ同士が結びつくことは、どんな学問分野においてもそうであるように、数学においても建設的な意義をもっている。というのも、そんな結びつきが存在することは、両方のテーマをいっそう豊かにする基本的真理の存在をほのめかすからである。
という一文があるのですが、一つの物事だけに留まらず、様々な分野への興味や理解が「それぞれの世界での応用」に貢献し、いつの間にやら得も言われぬ深い世界観や統一性、柔軟性やアイデアをもたらすことを、なんとなーく触れる毎日です。
やっぱり、全ては繋がっている。