自分の人生を語る必要性
今月のオンラインプロジェクトのテーマの一つに、『その人の人生を語ってもらう』というものがありました。
というのも、コーチングセッションをしていて、常々「もっと自分の人生を語る機会があればいいのに」「こうやって情熱的に自分を話せる場がコンスタントにあったら、もっと魂から目覚めるのに」「誰の中にも他ならない物語があるのに」と感じるのです。
そして、それを話していると、その方の頬には赤みが差し、目は輝き、丁寧に言葉を選び、誰にも似ていない表現で紡がれていく。
完全なるビジネスセッションにおいても、その方のお話というのは休憩時間などにお伺いしているのですが、戦歴の勇者のような男性陣にも同じ傾向が見受けられます。
人生最大の停滞
『誰の人生にも物事が上手く進まない時期、停滞する時期、頑張ってもうんともすんとも言わない時期というのはあるものですが、そういった際にはどう過ごし、どう抜け出したのか?』
プロジェクトではそんなお話をお伺いさせていただきました。
皆さまからは実体験を踏まえたお話を沢山頂戴し、心と過去を開示してくださることに感謝するばかりでしたが、私はというと、実は大きなものが二回あります。
そのうちの一つがこれ。
生後2-3か月の時に、左頬に太田母斑という青アザが出現する(アジア人に多く、遺伝ではない)。
幼い頃の記憶はないものの、小学生に上がるくらいから自我が芽生え、自他の違いを知ることになり、同級生や上下級生からかわれたり、傷付く言葉を言われるように。
そして、心の通じるような子が次々と転校していく不思議…
ただ、今から思えば、手や足がなくとも、顔に傷があろうとも友達といい関係を築いている子もいるので、アザが全ての原因ではないにせよ、いじめのようなものもあり(私の存分にひねくれ、傷付いた)、心が疲れ果てた結果、不登校&引きこもりに。
という少女時代を送ります。
占星術をはじめ、30代前くらいまでは暗黒期と出ているので、そういった星の流れや試練でもあったのかもしれません。(今思えば)
それは壁であり、檻
引きこもっている時には、自分を救いたくて本を読んだり、ワープロに思いを書きなぐったり、映画を観たり、瞑想してみたり…と、悠々自適な内観の旅をしていました。
あがいたり、諦めたり、何が悪かったのかと自分を責めたり、「あいつら~」と他者を責めたりと、それはそれで忙しかった記憶もらいます。
今であれば好きな土地で一人暮らしを始めたり、ゼロから積み重ねることも出来ますが、子供が与えられた環境から脱することは至難の業。知恵もお金も権利もない。説得するだけの知力も武器もない。
自分の部屋は、外界から私を守る壁であり、私を閉じ込める檻でもあったように感じます。(ただ、檻の中は檻の中で平和)
そして、世界が変わる
その上で、私が何年にも及ぶ停滞から抜け出したキッカケになったのは、
物理的に外見を変えること
でした。
人の注目、好奇の目を向ける元凶である青アザを何度かのレーザーで消したのです。
それまでは両親が進めてくれても、お金を使わせることに罪悪感があって断っていた案件でしたが、時がやってきたのでしょうね。(私の実家は中流家庭だったので、治療費くらいはあったはずなのに、きっと両親を心配させたくなかった)
痛かったり、暑かったり、面倒くさい思いをしながらも長い治療を終えると、私の中身は何も変わっていないにも関わらず、世界の評価/扱いが180度変わりました。
人の心の残酷さ、異分子を排除したい無意識の選別、何かのキッカケで簡単にひっくり返る仲間意識、「したこと」はすぐに忘れる都合のいい防衛本能、気持ちの悪い猫なで声…
17歳頃には様々な人間の側面を観ましたが、けれど、「自分の内面は変わらずとも、外見を変えることで世界や流れが変わる」ことは理解しました。
よって、今でもお仕事や何らかに停滞を感じた際には、内面的なケアや充電はしつつ、「ヘアスタイルを変えてみる」「髪の毛の色を変えてみる」「いつも選ばない色をネイルに塗ってみる」「いつもと違う色の服を着てみる」「いつもと違う高さのヒールを履いてみる」「マツエクしてみる」「パンツルックばかりだったけど、スカートをはいてみる」など、外見を変えてみることもしています。
世界が自分に対して持つ印象というのは、自分の流れにも影響を与えることがあるため、実は侮れない。
どうにもならない!という際には、ぜひお試しを。
そして、皆さんの停滞体験は何ですか? その時にはどう過ごし、どう抜け出しましたか?
これ、実は非常に重要な問いです。
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