客観的な第三者の声
現在、我が家には週3回ほど家庭教師が来てくれています。始まりは「娘の小1の時の学力テストの結果が”あまりにも”だったから」。夫婦でのけ反ったことを覚えています。
主人も私も「勉強が全て!」「点数命!」ではないのですが、この先何を目指すにしても、小学校で習うことは理解出来た方が絶対にいい。確実に生きやすい。困る機会が減る。
それだけは解っているので、娘の学習のサポート・応援・学習習慣の定着のために、小2から家庭教師を導入。二人三脚でお世話になっているのですが、親子という近しい間柄だからこそお互いに感情的になってしまう事もあるため、家庭教師という「客観的な第三者」の声は有難い次第です。
おかげさまで、本人も勉強への苦手意識が減り、自分のタイプ(理解度は決して早くないものの、何度も繰り返し行うことで身につくタイプ)を把握できるようになったようです。毎日楽しく登校してくれる姿には有難さしかありません。
そして、言われる
家庭教師さんとのお話で出てきたのは、「大人が忘れることは、子供も忘れる」ということ。例えば、九九。漢字。書き順。何かの算出方法…
私も大いに忘れているので、そのお話に納得でした。
また、「やった方がいい」とは頭で理解していても「どうしても体が動かない!」という事もありますが、それは大人も子供も一緒。自分のことを棚に上げ、娘を指摘していた自分が恥ずかしい。
私の結論
自分が出来ないことを子供にやらせたり、自分がやりもしないことを子供に強制することはやめようと思います。同様に、自分が出来もしないこと/やれもしないこと(やりもしないこと)を、お客様に「さも当然かのように伝えるような真似」も絶対にしないでおこうと思います。
いい意味で現実的に。格言めいたことをいうだけなら、誰にでも出来る。影響を与えようと思っていい事を言おうとする人はサブイ。