スローライフの合理性
先日、友人たちと盆栽を買いに行った際に骨董品屋さんに立ち寄り、それぞれの理想の暮らしのカタチなどを話す機会がありました。
・高級なものが欲しいのではなく、「これはね…」と一つ一つ思い出やストーリーを語れるものを大切に使いたい(結果的に高級なのはよい)
・平屋に住みたい
・和室や欄間(らんま)、床の間のある暮らしがしたい
・囲炉裏とかほしい笑
・ゆっくりお湯を沸かしたい
・丁寧な暮らしがしたい
…なんだかお婆ちゃんのようなことを言っていますが、不思議と同調。それが実現するかどうかはさておき、忙しい毎日を生きる現代人だからこその原点回帰のようにも感じました。
また、若い時には機能性や合理性を求め、都会的な生活に憧れていたのですが、実はスローライフや緑のある生活も「心身のバランスが良くなる」「コンディションが整う」「メリハリが生まれる」ため、その後の生産性や創造性に対して機能的であり合理的。
芸術家や経営者が閃きを得るために”敢えて”ぼーっとする時間を作ったり、切り替えを好む理由に触れた気がします。
主立つ言葉の意味
そして、経験や体験を重ねていくと、言葉の意味が変わってくるのだなーと体感しました。故に、久しぶりに私の人生の中で主立つ言葉の意味を再確認、再精査しております。
例えば、
大切なものとは何か?
愛とは?
自由とは?
仕事とは?
お金とは?
人生とは?
時間とは?
出逢いとは?
別れとは?
など。
…これらは自分の価値観にも大きく基づくものですが、若かりしあの日に「こうかも!」と思った言葉の意味と、今ここから思う言葉の意味とが一致するとは限りません。