他者に対してのアウトプット
先日のことですが、コーチング勉強会内で「アウトプット」についてのプチセミナーを開催させていただきました。
「アウトプット」と「インプット」は一対なので、本来はどちらのお話もする必要なのですが、今回重点を置いたのは「アウトプット」。
そして、「自分に対するアウトプット」ではなく「他者に対してのアウトプット」の会となりました。
ごもっとも!
「他者に対してのアウトプット」というのは、ただ単に気持ちをぶつければいいというものではありません。
「私がスッキリするため」の自己満足の発散を続けている限り、「建設的な話が出来ない相手」と見做されてしまうことも。相手が「yes」や「I’m sorry」と言ったとしても、それはただ相手が我慢をしていたり、諦めからくる結果であることも多分にあるのです。
かくいう私も、若い頃には「自分の気持ち」「自分の考え」「自分の気分」の声がやたらと大きく、視野が狭く傲慢な考えであるにも関わらず、傷付けられた事象や痛みにだけは人一倍敏感で…など、面倒極まりない「こじらせ」も身の内に経験しました。
しかし、そんな時に救ってくれたのが、シェイクスピアの
喜怒哀楽の激しさは、その感情とともに実力までも滅ぼす。
という言葉であり、務めていた会社の上司に言われた
感情に振り回される人間に、重要なポストは与えられない。
という言葉でした。
もー、ごもっとも!
いつかブーメランのように我が身に返ってきてもいい対応をする
では、「他者に対してのアウトプット」の基本は何なのか?というと、一つは「感情的に言わない」ということ。
感情的に伝える、感情を露呈する、感情を爆発させる…というのは、一時的/短期的に効果があったとしても、失うものも多すぎます。信頼や将来性だけでなく、品性や知性も欠いていきます。
よって、「感情的に伝えるのではなく、感情を伝えましょう」というのがセオリーなのですが、私は「自分がされて嫌なこと、困ること、ドキドキしたり委縮しちゃうことは、相手にしない」ことだと訳しました。
もちろん、感じ方はそれぞれですし、私の考えが正しいわけでもありませんが、基本的には「いつかブーメランのように我が身に返ってきてもいい対応をする」とも言えます。
ストレスの発散はいつ、どこで?
また、精神的にも成熟した友人たち(年齢は関係なし)を見ていると、みんな「一人でのストレス発散」が上手いという共通点も見出しました。
その上での対話や議論なので、個人の感情や気分とを分けて話が出来るのでしょうね。
誰かと話す、どこかに行くことでもストレス発散やリフレッシュも大切ですが、自分で自分のご機嫌を取れる人はやはり魅力的。目指す姿はここにあります。
対 異性の場合は?
そして、先日は「対 異性の場合」についても話が及びました。私は女性なので、「対 男性に対して」という意味合いになります。
これこそまさに、感情で語らないこと。感情を押し付けないこと。脅さないこと。凄まないこと(笑)
そして、個人的には「女性であることを捨てない」「可愛くある」、つまりは全てを包括して「賢くある」だと思っています。
これは相手に媚びろ、フリフリした服を着ろ、ということではなく、「そちらの方が、合理的かつスピーディかつエレガント」であり「眉間にシワが刻まれず、メンタルヘルスにも美容にもよい」だからです(笑)
本当に話し合わねばならない議題、すり合わせなければならない議題においては別ですが、それ以外については「本当にやりたいこと、本当の願い、築きたい関係性のためにも、賢く」と思っています。