なかったとしても、どうにでもなる。してきた。
少し前から物事に対する感覚や考え方、価値基準が大きく変わり、先週、マイカーを手放しました。
その日は朝からラストランをしたのですが、最後まで
・ホイールの色を忘れるくらい洗車しない(雨=洗車)
・娘が小学生になってからは何か月も乗らないこともザラ
・あらゆるシーンで車のポテンシャルを発揮してあげられない走行
・擦ってもあまり気にしない
・Siriのような音声アシスタント機能とも結局、仲良くなれず
・結局、車は動けば良いと思っている
・マイカーの維持費よりも、タクシー乗車費の方が圧倒的に安いことに気付いてしまう
という、愛情やコダワリを持たないドライバーでありました。
これまでは「一応、あった方が…」「長年、何らか所有していたし…」という思いもありましたが、(私の住む土地では)なかったらなかったでどうにでもなるし、どうにでもしてきたという自負もあり、このような決断に。
今後は時間の経過とともにゴールドドライバーになると思うのですが、次のオーナーさんは車を愛でる良き人でありますようにと願うばかりです。
才能や可能性を開くための現実主義
それと同じく、メインカメラのレンズもそこそこ入れ替えました。
フラッグシップは流石のスペック/画質/性能ですが、私にはどうしても重すぎる。純正レンズも素晴らしい画質と反応を持つけれど、私にはどうしても重すぎる。私の今のカメラの先生は男性ですが、どう考えても彼と私の体格/体力/最大積載量は違うことも明白。同じ動きをし続けるのは無理。
結果、
・「大きい、重い」を我慢することで、自由な感性や体力、のびのびした思考が抑えられるならば
・重量/容量/機動性を重視し、「私が心身ともに楽である」「良い状態である」ことで開かれるインスピレーションや表現、矜持を選ぶ
ことに決めたのですが、今の私(あるいは、これからの私)は、「可能性を開くための実際主義」のようです。「今、デイリーで、使い倒す」方を選びました。
生まれ変わり、運気が好転するという暗示
先日のことですが、「知らない人を殺す夢」を見ました。
なかなか凄惨でしたが、夢占いなどを見ると
夢に登場する見ず知らずの人物はあなたの分身(自分でも気付いていない、自分自身の一面)。この夢を見ることを通して、自分自身の中の嫌な性格や欠点を抹消しようとしているのでしょう。 それが死ぬということは、生まれ変わり、運気が好転するという暗示
という趣旨のことが書かれており、確かに、日々の細々した決断から大きな判断まで、思い当たることが沢山。
けれど、それは「変化するぞ!」「これまでと違う決断をするぞ!」と意図的に変えたものではなく、深層部の変化が表層に現われてきた感覚です。
この変化と決断がどこにたどり着くのかは分かりませんが、けれど、私は「現在と未来」に対して実際的なものを選んでいるのでしょうね。そして、自分が全てを背負えないことも、背負う必要がないことも解かっている。そんな感覚でおります。
人一人が持てる物の総量はそうは多くない
娘ともよく話すのですが、人一人が持てる物の総量はそうは多くないと思っています。
ましてや「本当に大切なもの」となると恐らく何十個もないのでは、と。
(現実的にはさておき)気持ち的には「両手で抱えられる分だけ」とし、『実際に使うお気に入り』を丁寧に使い、使い倒します。
クエスチョン
さて、「知らない間に深層部が変化し、それが表層に現われてくる」「意図していないのに、自然と選ぶものが変わる」「これまで大切にしていたものだけれども、そう思えなくなる」「これまではしっくり来ていたけれど、違和感を感じるようになる」ということは、誰にでも起こり得る(起きてきた)ものだと思います。
あなたは、あなたの中にそんな予兆は感じますか? そんな時、変わりゆく自分を許容できますか? そんな時にも「私」という主語を使い、話すことが出来ますか?
そんな話をしていた最近です。