正しさや優しさではない、自分の基準
起業当初も今も、何に対しても「私自身がどんな人から買いたいか」という視点は持つようにしています。それは即ち、「私はどんな人から買いたくないか」を明確にするのとイコールになります。
「正しさ」や「優しさ」ではなく、自分の虎の子のお金に行く先について、自分自身に問うてみるのです。(いくら「出すのが先」とは言え、出す先はしっかり選びます)
私の場合、それらは多岐に渡っていて、
・ダイナミックすぎる四捨五入をする人
・リア充を装っている人
・リアルが充実していなさそうな人
・自分を丁寧に扱っていなさそうな人(ヘアやお洋服、雰囲気から判断)
・言動や発信と本人とに整合性を感じられない人(違和感や不一致を感じる)
・自分の世界(雰囲気、空気)がない人
・自分のお客様を、自分のブランディングに使う人
などなど、無限に出てきます。もちろん、ここには書けない基準も存在していますし、無形商品/有形商品どちらにも共通しています。
「~そうな人」という表現であるのは、実際のところや裏は分からないから。
分からない故に、提示された肩書、経歴、写真、文章、口コミ…からしか判断がつかないわけですが、そこから感じ得る印象というのは、”自分にとっては”正しいことが多いと思っています。
けれど、腕がいいなら人柄度外視な場合も
けれど、何か病気などで手術を受けるとなった時には、「人柄はいいけれど、腕の悪い医師」よりも「人柄には問題があるけれど、腕のいい医者」に執刀をお願いしたいのが本音。
何故なら、目的が明確であり、欲しい結果が明確であり、それらの優先順位が最高位だから。(もちろんベストは「人柄がよく、腕もいい医師」)
自分に対しても同じ目を向ける
学びたいことは山ほどありますが、「目的」「結果」「誰から」を中心に、自分のサービスに対しては「自分ならこの金額でこのサービスを買いたいか?」「この内容に魅力を感じるか?」「この対応に安心/満足するか?」と問うようにしています。
全てにおいて理想を完遂することは難しかったとしても、そういった視点を持ち続けることが出来れば、1mmずつでも成長出来ると思っています。そして、「全員に好かれることはない」「全員のニーズを完璧に満たせるわけではない」「故にミスマッチを避ける」という基本的な部分も失念しないよう、初心に戻ることも。
しかし、子供に対して言う「よく寝て、よく食べ、よく学び、よく遊べ」的なことは、大人も同様ですね。基礎や基盤があるから、次を夢見れる。