さよなら、ベタさん
先日、可愛がっていたベタさんが他界しました。
今年の1月にはアニマルコミュニケーションをお願いしたこともあり、最も「繋がっている感」が強くあったベタさん。これまで私が飼育したベタさんよりもダントツで長寿であり、ダントツで何もせず、ダントツで気の大きなベタさんでした。
最期は1週間ほどご飯も食べず、私はただただ穏やかに過ごしてねと願うばかりでしたが、大往生だったのではないかと思います。
「今ここ」と「諸行無常」
4月のオンラインプロジェクトでの皆さんへの質問の一つは『80代の方に聞いた人生で後悔していること』というテーマから派生したものでした。
人生は有限、時間も有限、今が永遠に続くわけではないのに、日々の忙しさに吹きまくられてばかりいると、良くも悪くも今のこの状況や環境がずっと続くように感じてしまい、「今ここ」を見失ってしまいがち。故に、「今ここ」を体感するためには、合わせて「諸行無常」を知ることが大切だと思います。
これはメンタル面や倫理観、情緒的なお話だけではなく、お仕事にも行動力にも閃きにも通じています。つまり「今」の純度が上がり、質が上がるのです。実際、私はこの考え方をより強くすることで、先送り思考が更に減りました。結果はどうあれ「やっておけばよかった…」を人生の最期に残したくないのです。(そして、願わくば輪廻転生の輪から卒業したいのです)
今この時
今日この時にしか話せないこと、今この時にしか感じ得ないこと、今この時にしか見えないもの、今この時にしか聞こえない声に触れ、今ここを大切に、全力で、ただただ楽しみ、汗をかき、悔いない時間を過ごしたい所存です。
少し前から完全にハマった盆栽さんも、私の寿命よりも長生きするので娘か誰かに託されることになるでしょうし、人気の『葬送のフリーレン』なども「大切な人達がこの世からいなくなった後」の物語。
私の時間枠を大きく広げるものとの出逢いが続き、数十年単位で物事を考える癖がついたのと同時に、全ては諸行無常だからこそ「今この時」のかけがえのなさもしみじみ。
敬う対象も広がる毎日です。