一次試験は”くじ引き”で
昔、ある世界の巨匠がオーディションの際に「運がない奴は売れない」と言って、一次試験は”くじ引き”にしたという話を聞いたことがあります。
それを聞いた当初は私も若かったため、「なんて不公平な!」「平等にチャンスを与えないとだめじゃない?」「運て!」などとモヤモヤしたのですが、年齢と経験を重ねた今なら分かります。運と縁が人生で大事だということをつくづく感じるからです。
やっぱり、努力や準備だけでは補えない『何か』のチカラは”ある”のです。それらは運と呼ばれたり、縁と呼ばれたり、運命を呼ばれたりと様々ですが、それらによって人生が変わり、「If(もしも)」はないというのが実感。
これは、お仕事の話だけでなく、様々なシーンにおいて。
が、実際のところ、念願のシーンで”くじ引き”試験となり、それに落ちた日にはすんなり受け入れられないかもしれませんね。数日は凹み、荒れ、無気力になりそうです(私は笑)。しかし、それでも現実を受け入れ、早々にやるべきことをやれる人が、次のチャンスを掴んでいくのでしょう。
最初は心が入っていなくてもいい
私もこれまでの人生を振り返ると、神がかり的な運が発動したことが2回だけあります。
(それよりも小さなものは沢山ありますが、”人生”と”その後”を変えるほどのインパクトと影響力を持つものはその2回)
1回目は、既に幸せで希望に満ち溢れていた10代後半の時。2回目は、人生どん底、健康にも問題を抱えていた20代後半の時。
状況も環境も何もかもが違う生活をしていましたが、しかし、10代後半の時には希望とワクワクとドキドキに満ちながら”おまじない”的に、20代後半の時には絶望と疲れに足を取られながらも藁をも掴む思いで、『良いイメージングをしながら、自分なりに必死に前を向く(手を動かす)』ことをしていました。
もちろん後者(よくない状況の時)に、よいイメージをすることは修行なのですが、
・悪いイメージに押し流されないよう、良い言葉を口に出す(まずはカタチだけでも良い)
・玄関にお花を飾ったり、自分の進む方向にアンカーを打つ(まずはカタチだけでも良い)
・心に決めたことを文字に書きだしてみる(まずはカタチだけでも良い)
・成功体験、上手くいったお話などを沢山読む(まずはカタチだけでも良い)
・盛り塩をする(まずはカタチだけでも良い)
・いつどんな場に呼ばれてもいいように(スポットライトが当たってもいいように)、どん底であっても美容やスタイル維持は心掛ける
など、世間一般、あるいは自分の中でよいと思われることを「まずはカタチだけで良いので、やる」「最初は心が入っていなくてもいい」と言い聞かせながら、どうにか方向転換を試みていたのです。
というのも、「出来ることは既にしている」という自負があったため、これ以上の変化や達成を望む際には『何か』を味方につける以外の方法がなかったのです。
核たるもの
結果、少々のタイムラグを経て現実が変わったわけですが、
・実際の行動も大切だけれども、根底となる在り方が大切
・潜在意識の健康状態は必ず現実に反映される
・人間の念力はとてつもなく強力
・良い香り、良い空気は良きもの(見えないものをはじめ、思考や環境や健康面においても同様)を呼ぶ
・全ては収まるべきところに収まる
・けれど、ビジョンや方向性を強く持つことは大切
・チャンスやタイミングが今日来てもいいように、最低限の外見は整え、知性も磨いておく(それらが輝く日はいつか来る)
などが、私の核になっていきます。
そして、現在はリリース待ちのサービスが一つあるのですが、そこでも「お正月や開運日などの特別な日だけ背筋を伸ばしても効力は弱い」「時々の神頼みではちょっと弱い」と書きました。(全ての準備が整いつつ、様々な状況によりGo Live出来ずにおりますが笑)。
けれど、”今日出来ること”として考えると、やはり『良いイメージングをしながら、自分なりに必死に前を向く(手を動かす)』しかありません。
あとは、果報は寝て。ダメだったらダメだったで。如何様にも道はある。叶っても叶わなくても、私は幸せ。誰かのモノサシなどクソくらえ。