生き永らえる
お仕事や活動の中では、様々な提案をしていくシーンが多々あります。が、様々な提案をしていくと、自信の案があっさりと却下されることも、「それ本気で言っているんですか?」と何らかを疑われることも多々あります。
絶対的な才能や権力、実績でもあれば別でしょうが、私の現状はそうではない笑
しかし、ある時には「天才は多産である」という言葉を支えにし、ある時には真正面から傷付き、ある時には「これが分からないとはセンスない奴だなー」と考えては自分の心を守り、ある時には謙虚に学び…して、今日まで生き永らえています。
しかし、基本的には平和的な性格をしており、闘争心が主軸というわけでもない。だからこそ、リラックスや休息も大切にしているのですが、
「自分の心を満たし、満足させ、心地よく生きたい」と本気で念願しつつ、けれど、それだけでは飽きちゃう笑
「穏やかな眉の中で、リラックスして過ごしたい」と本気でイメージしつつ、けれど、それだけではエネルギーが余っちゃう笑
「安心安全の中で、信頼できる関係性を築いていきたい」と本気で切望しつつ、けれど、刺激や未知との遭遇も沢山ほしい笑
そんな葛藤こそが「活性化」に繋がり、陰陽が循環し、前進する力や創造力になっていくのだなとヒシヒシ感じる毎日です。
戦線を離脱していく人と、残っていく人
そして、何をするにしても「それをしたい人」がゴマンとおり、それぞれの武器や長所を生かして自己PRをしていく中で、「自分が思う自分像(セルフイメージ)」と、周囲の反応とが乖離していることもありますし、「思うよりも出来ていない自分」や「思うよりも踏み込めない自分」などにも出逢うこともあります。
そこで戦線を離脱していく人と、残っていく人との間には、やはりいくつかの違いがあるように感じます。
それは、
いい意味での「プライドのなさ」。
どんな崇高なビジョンや志やセルフイメージがあったとしても、「現状、自分はそれに至っていないのだな」と受け入れる心構え。
正直、エリートが挫折していく様も、才能の塊が己の思考が故に崩れ落ちる様も多少は見たのですが、自分の描いた夢から醒め、「あ、自分は凡人かもしれないな」と一度は思えた人から、「自分の作った謎の枠の鉄格子」から脱していけるのでは、と思います。
私たちにはまだまだ伸びしろがある
私の娘は9歳ですが、彼女のセルフイメージは、過大評価な部分と過小評価な部分とが混在しています。
故に、間違いを指摘されたり、やり直しをしなければならないとプライドが傷つき、現実にNOということもありますし、反対に、成し遂げられるポテンシャルを秘めつつ、初動から「それは出来ない」と判断することも。
それは私たち両親や、私たちのもたらす環境がそうしてしまった部分もあれば、学校や体験から学んだこともあるでしょう。そんなものの影響ではなく、元来の気質かもしれません。
が、高い壁は自分を守りもするけれど、閉じ込めもする。
娘の姿を見ながら、いい意味でプライドなく、いい意味で「現状、そうかもしれないな」と受け入れていこうと思う所存です。
さて、あなたは上手いことご自身を操縦し、機能させていますか?私にはまだまだ伸びしろがあり、もっともっと自由にしなやかに開放していける予感のようなものがあります。