大差なし。でも、全く違う結末
私を含めた「多くの場合」に限った話ですが、人生に起こり得ることはそう大差ないと思っています。
この世に生を受けてから、誰かにお世話をしてもらいながら成長し、保育園や幼稚園に行ったり行かなかったり(家々によって違う)した後に、義務教育期間があり(私は不登校をしましたが、それも大きな目であれば”よくあること”の一つ)、反抗期があったりなかったり、就職やバイトをしたりしなかったり、夢を持ったり持たなかったり、結婚したりしなかったり、子を持ったり持たなかったり、車やお墓や家を買ったり買わなかったり。
運命的な出来事やシンクロニシティがあったとしても、「波乱万丈」「ドラマのような人生」「事実は小説より奇なり」というほどの人生の方が恐らく少ないはず。
それにも関わらず、全く違う人生を過ごしていくのは不思議でもあり、面白くもあり。恐らく、「今日何する?」「どっちの方がテンション上がる?」というような細やかな問いの一つ一つが岐路となったのでしょうね。いやはや。
会長賞を受賞
そんな中、娘が『よこはまファミリー写生大会』で入選(会長賞)を果たしました。
今回は授賞式も予定されており、娘は二つ返事で『出席』を選択。授賞式に向けては嬉しさや楽しさだけでなく、緊張や不安、恥ずかしさもあるようですが、それらも含めて自分の出した結果を漏らさず体感してほしいと思う所存です。(無事に開催されますように)
耐性をつけていく
娘は小さい頃から図画工作が大好きで、習い事の中でも「絵画造形教室は絶対に続けたい」と言い続けてています。将来は「好きなこと(絵画造形)を仕事にしたい」という思いが明確にあり、家でも学校でもあらゆるものを自作しようと試みていますが、しかし、現実にはコンテストに出展しても参加賞で終わることの方が多く、こうしたものに引っ掛かるのは一昨年の世界児童画展の佳作ぶり。
今もまた別のコンテストへの絵を仕上げており、学校内でのチラシやキャラクター作りにも積極的に参加していますが、やはり入賞しない割合の方が多いのが事実。
しかし、少し自信をつけて調子に乗っては、落選して微かに傷つき、でもまた挑戦し…の繰り返しの中で”耐性”をつけていく姿は逞しくて眩しい次第です。
好きなものに賭けてみる
「好きなことで食べていきたい」「好きなことで生きていきたい」とは数百万人が夢見ることですが、それが叶うのは一握り。絵なら絵、運動なら運動、芸能なら芸能の神様にも愛されなければなりません。故に、多くの人はそれぞれどこかで折り合いをつけて生きていきますが、けれど、それは全て結果論であって、人生の渦中を生きている中で全てを見切ることは出来ないもの。
ある意味、何をどう選ぶにしても全ては「賭け」。どこまでいっても自分の責任で自分の人生を生きるしかなく、「絶対に成功する」「絶対に安牌」「絶対に幸せになれる」はないのだと思い知らされます。
だとすれば、自己責任の元で「好きなものに賭けてみる」というのは、正しい生き方にも思えます。
結局、他人は他人。故意としての迷惑は論外としても、自分の人生を生きられるのは自分以外にいないと思うと、自分が最も納得する選択をし、努力を続けることが一番の王道だとも感じます。