心の奥底にある本音が叶う。が…
日々のお仕事や活動、ひいては今世をどう全うしようか?今に何を注ぎ込もうか?に至るまで、大切にしている考え方があります。
それは、「在り方」と「具体的な目標やタスク」をどちらも大切にすること。私の中では「両輪」としています。
「どう在るか?」は非常に大切ですが、それだけでは現実は前進しにくく、風任せになってしまうことも。それに対して「具体的な目標やタスク」をこなしていくことで物事は前進・変化していくことがやっぱり多い。多い反面、世界の状態や体調など外的要因に左右されることも多く、こちらだけに寄りかかってしまうと、それが出来なくなったり変更せざる得ないような時に、心が折れてしまったり、立て直しに時間がかかってしまうことも。
故に、どちらも大切であり、私の中では両輪そのものと位置づけしています。
そして、それらを扱う時に必要なのはバランス感覚であり、柔軟で軽やかな「どうにかなるさ」な精神だと思っています。それを養い、常に良い状態にするために行きついた方法は、実際に柔軟やストレッチをすること。瞑想すること。
結局、行きついた先は「心と体は繋がっている」「共に影響を受ける」という至極シンプルな結論でした。けれど、効果は抜群!
本音や本心に「ポーズ」は通じない
とは言っても、です。そんな教科書にあるようなことが全てか?というと少し違い、その前提となる部分があります。
それは「心の奥底にある本音が叶う」ということ。
何を言っても、何を学んでも「本当は仕事したくない」と思っていればそれが現実となり、「本当はお客様の相手をすると疲れる。好きじゃない」であるなら、感謝だなんだと言っても、その成分が漏れ出し現実を形成します。
本音や心の中に、「ポーズ」は通用しませんね。世界に向けて、社会に向けて、ある人に向けて完璧なポーズが取れていても、心の中が荒めば顔や所作に出ますしね。それも実体験済。それを理解出来ずに、ノウハウや行動目標だけに的を絞っては自分を苦しめたものです。
全ての呪縛を解く言葉
その上で、大好きなタモさんの師匠である赤塚不二夫氏の「それでいいのだ」という言葉を心に、<今ここ>を光で照す毎日です。
時間の前後を断ち切って、今ここを全肯定することは希望そのもの。諦観、諦めともいえるかもしれません。けれど、だからこその「その上で、どうする?」。
そんな中、昨日はマイカーの側面を思い切り擦ってしまいました。でもでも、それでいいのだ。相手は壁。しかも、擦れている跡がめちゃくちゃあるから、これまで何十人も同じことをやってきた個所。人や動物相手じゃなくてよかった。なるようにしかならん!
思考を次に進めます。