矢印の向く方向
今日はお仕事においてのお話です。
例えば、「私は〇〇をしています」と名乗るのは誰のためか?
「私のサービスを受けると、××という状態が〇〇、あるいは△△になります」と示すのは誰のためか?
「お客様の声」を頂戴したり、「自分の知識やスキル、伝え方を磨き続ける」のは誰のためか?
それ以外にも、顔を出す、サービスメニューを分かりやすく出す、金額を明記する、期日を明記する、予約方法を明確にする、掃除をする、HPやSNSで発信をする、チラシを配る、笑顔でいる、自分を整えるのは誰のためか?など無限にありますが、それらは「私のため」か「お客様のため」か、「私の気持ちに沿う」のか「お客様の立場に立つのか」に大別されていくと思います。
全てのイエスとは言わないけれど。
全てのリクエスト、提案、ご意見に「イエス」とは言えずとも、やはりお客様は神様です。いつだってお金をお支払いくださり、ご縁を繋いでくださるのはお客様。自分の努力や行動も未来を創りますが、あらゆるものの中核にあるは「出逢い」と「ご縁」。
つまり、「人」の存在なしには、運命は動かない。
それにも関わらず、「人には興味がない」「やりとりはしたくない」「フォローも出来ない」「ペーシングも苦手です」でも「お金は欲しいです」「でもお客さまには囲まれたいです」というような声を聞くと、私は一人、苦笑してしまいます。
矢印の向きが、全部自分を向いているではないですか、と。お客様はそれを敏感に感じ、多くの場合は静かに静かに離れていきます。
そのこだわりは誰のためか
そういった上でも、こだわるポイントというのはそれぞれにあると思います。
フォントにこだわりたい、紙質にこだわりたい、会場にこだわりたい、香りにこだわりたい、時間にこだわりたい、人数にこだわりたい、価格にこだわりたい…
それこそが「その人らしさ」であり、差別化や独自化の源泉になったり、アイデンティティの確立につながるわけですが、お客様がいる以上、そこにも「矢印の向き」というのは重要になってきます。
早さを求めるお客様に対して「自分の中で納得できないので…」とお待たせするのは次を減らすことにつながり、「6割の完成度でもいいから」というお客様に対して「100点でないと出せません」と言うことは、相手をやきもきさせる原因に。反対に「これという逸品がほしい」というお客様に惰性の品を渡せばそれもまた伝わり、「渾身の表現が見たい」方に「手抜き」を見せれば、それ相応の評価を得ます。
故に、「自分のこだわり」と「お客様のニーズ」とを秤にかけることは忘れずに。そして、そもそもミスマッチを生み出さないように名乗り、小さくても旗を掲げること。いきなり完璧は無理だとしても、どちらの視点も持つことによって唯一無二の、自分だけのバランスが生まれると考えています。