悩む時は悩むし、悲しい時は悲しい
過去、誰かにメンタル的な自己開示をした際、「恵まれているんだからいいじゃない」「何が不満なの」という言葉をもらう機会がありました。
コーチになってすぐの頃は「自己開示」や「線引き」、「誰に何を話すか」などのバランスがイマイチだったのです。(33歳になるまで、ろくに友達もいなかったもので距離感もつかめなかった笑)
確かに、世界的にも恵まれていて、子供たちだけで通学が出来、自販機が壊されず、駅も電車も綺麗な状態が維持され、郵便物はしっかり届き、蛇口の水が飲める国に住んでいるのだから、言わんとしている言葉はごもっとも。戦火の中を生きている方々からしたら、ここは天国そのものでしょう。
けれど、どんな環境/状況であろうと、悩む時は悩むし、悲しい時は悲しいもの。傷付きもするし、自信をなくすことだってあるし、自分が嫌いになることだってある。
そして、他者にとっては「そんなことが?」ということでも、命を絶ちたくなるほどの絶望になることもあるのです。
幸せそうな孤独
「恵まれているんだから」「健康なんだから」「若いんだから」「お子さんもいるんだから」「手に職があるんだから」…
多くの場合、それらの言葉は相手を肯定したり、励ましたり、”既にあるもの”を思い出させるために使われますが、しかし、時にそれらは心の呪縛になることがあります。そう言われてしまうと、「そうだけど、でも〇〇で悩んでいて苦しいの」「でも、しんどいの」などの本音が言いづらくなってしまうのです。
実際、私のクライアントさんにも「自慢に思われたら…と思うと、口に出せなかった」「贅沢だと思われたくなくて、見せないようにしていた」「甘えているだけ…と非難されたことがあるから、それ以来、一度も口にしなかった」ということをお話くださる方もいらっしゃるのですが、いやいや、どんな状況や環境であっても、悩む時は悩むし、悲しい時は悲しいもの。
それを言えないというのは、孤独でしかありません。(反対に、言うことでケロッと次のフェーズに移られる方が多いです笑)
自分自身で確定し続ける
そういった経験を通して、「人の人生の幸不幸は客観的にジャッジするものではない」「外野が決めるものではない」と知ります。キラキラな笑顔や素敵な立ち振る舞いに魅了されても、素敵なSNS投稿にワクワクしても、それはその人の全てではないのです。
また「話すなら、守秘義務と知識と経験を持つプロに」という概念も生まれることに。(親友コンプレックスから解放されました笑)
「客観的な事実」は客観的な事実でしかなく、その後を決めるのは、その人自身。絶対的に定まったものなどないからこそ、自分自身で確定し続けるしかないと思っています。
“側”に惑わされることのないよう、内省し、体験し、また内省します。
はぁああ、罠がいっぱい!