愛でる
4月にお迎えしたミニ盆栽の長寿梅ですが、最近、二度目の蕾がつきました。
長寿梅は、冬になって全ての葉が落ちても花が咲いたりするようなので、四季折々の変化が楽しみでもあり、初盆栽が元気に過ごしてくれていることも幸せ極まりなし。
また、少し前には自宅で一人、黒松の植え替えと苔盆栽制作を行いました。
自宅には観葉植物がありますが、しかし特に何も手をかけていなかったので、「色々と調べ、諸先輩方の体験談を聞き、園芸店に出向き、最も適していると思われる物資/物量を購入する」というのは、どこをとっても初体験ばかり。
一つ一つ手を動かし、あーだこーだと成果と課題を感じ、成長を見守る楽しみは日々を豊かにしてくれます。
同じ時からスタートした盆栽仲間さんたちとの日々の情報交換も楽しいですし、植物を愛でる方々とのお話も楽しく、世界が広がる毎日。いつか盆栽鉢を作るような体験もしていみたいと夢想しています。
ライフワークバランス
私はお仕事が好きですし、お仕事をするなら「出来る」「出来ている」を望みます。お仕事だけでなく、何らかの活動においても「やるなら結果を出したい」し、「自分の美意識に泥を塗るようなことはしたくない」と思うタイプです。
そういった気質もあってか、長らく「仕事とプライベート(仕事以外の日々の生活)」という二本軸で現在/未来をイメージし、過去を振り返っていたのですが、しかし、「仕事」だけでなく、「日々の生活」だけでなく、「自分(一人)の時間」の充実も大切だということに、40歳手前で気付きました。
いや、これまでもそういった軸は認識していたのですが、その本質に本当の意味で気付けたのがつい最近なのです。
そのくらい成果主義だったとも言えますし、必死だったとも言えますし、その時の私にとっての真実や価値観はそこにあったのです。(それがあったから今があるので、良し悪しではない)
が、新しい価値観や変化変容において、引き金となったのは「盆栽さんたちとのコミュニケーション」から成る大いなる癒し。この年齢になって「日常の中に癒しがあるってこういうことか」と知るのでした。(反対にいうと、これまでは日常を運営してはいたものの、本当の意味での癒しはなかった)
新たに見えてくるもの
そう考えると、娘の生活にしても同様です。
「学校」と「家での生活」の二つがあればいいのか?と言えばそうではなくて、絵を書いたり、漫画に集中したり、自分のスペースでぼーっとしたり、お友達と遊んだり…という「自分の時間」がとても大切。そこで内外とのバランスを取っている節もあります。
というか、誰にとってもそう。
竹で割ったような考え方や、白黒二つの世界はある意味で楽ちんですが、新たなる視点や距離感を獲得したこの頃です。
そして、次の課題へ
我が家は海沿い/東向き/水平線から遮るものが一切なしの環境のため、盆栽を置いているバルコニーは早い時間から焦げるような暑さとなります。
実際、盆栽台の表面温度は朝の時点で50度を超え、盆栽鉢は熱々に…
早急に遮光対策を練るべく、あれこれを動いております。というのも、海風に耐えられる強度でないと、窓ガラスを割ったり、周囲の方に迷惑をかけたり、盆栽に引っかかったり、鉢を落としたり…と、良かれと思って設置した遮光対策物が元凶に成り兼ねないのです。
が、この手間のかかる感じがまた楽しく、いいリフレッシュにもなってくれています。