針に糸を通すような作業
長らくSNSを使ってお仕事をして参りました。今は、そこにマスメディアを含む各種PR形態が加わった感じでしょうか。
そういった流れの中で、「発信(投下)するのは、針に糸を通すような作業」だと感じ続けております。時計の短針と長針とが重なり合う瞬間があるように、発信(投下)にも「これ」といった瞬間があります。その瞬間にピタリとはまると、何の力も要さずに、伝えたいことが瞬時に遠くまで届き、人の心の柔らかい部分にそっと触れます。
けれど、その瞬間というのは「いつでも」とは異なるもの。データや数字といった情報だけでなく、空気を読む力も必要となります。私自身、何度も失敗し、何度も悔しい思いをし、何度も及第点を取り、何度も成功し、何度も強烈に鼻っ柱を折られているからこそ感じること。
世界には、「外ならぬ、ある瞬間」が存在しています。
「何をするか」が全てではない
話をする中で、「何をするか」にフォーカスする方は少なくありません。確かにこれは非常に重要。目的地が見えている方であれば尚のことですし、ここが整理できていないと行き当たりばったりになることも。
けれど、実は「いつするか」も大切で、上記同様「いつでもいい」わけではないのです。
情報には旬があり、情熱にも旬があり、時間は常に進み、季節は変わり続けています。その中で「何」にだけ気を取られていると、確実に重たくなる。故に「いつ」というタイミングを読む力も磨くべしと考えます。
そのために、「第一線の方のお話を聞く」「一流の動きを見る」などもありますが、それらとコンタクトが取れる立ち位置にいるのであれば、既に基盤は磨かれ、次なる課題も見えているようなもの。
そうでない場合は、季節の移ろいの繊細さを意識的に感じる、旬の食材を食べる、料理の火加減をこれまでの10倍細かくみる、吹く風に含まれる香りの成分を仕分けする、一辺倒な形容詞を使わない、行間からキャッチする…など、自分自身を研ぎ澄ますことからおススメします。
そういった自分センサーの研磨が、ある時、大きく意味を成すからです。