作り手や発信者側が思うほどには「違いを感じてもらえない」
日々のお仕事において常々感じることがあります。
それは、コンセプト設定やブランディング、各種デザイン、コピーやボディコピー、本質的な部分に至るまで…
あらゆるものを総動員し、あらゆるものを引き算し、「これぞというもの」「唯一無二のもの」を作るために心血を注いでも、作り手や発信者側が思うほどには「違いを感じてもらえない」ということ。清水の舞台から飛び降りるような決断をしたとしても、です。
戦略を練り、感性を研ぎ澄まし、針の穴に糸を通すような集中力で形にしても、一見した段階では
・同業者のAさんもBさんも
・顔だけ知っているあの人も、顔を知らないあの人も
・名前だけ知っているあの人も、名前を知らないあの人も
「何か違うのは分かるけれど、どこがどう違うのかは分からない」「Aさんよりもオシャレ、Bさんよりは重たくない」程度の印象に留まることも往々にしてあるのです。これはHPにしてもコラムにしても、メニューや効果にしても同様です。
故に、
「Aという状態が、Bという状態に変化しますよ」
「①という状態だったけど、②という状態がスタンダードになりますよ」
「〇〇について悩むことがなくなったよ」
と繰り返し(あるいは印象的に)伝えていく必要があるのですが、それはまるで、砂漠にオアシスを作るべく、せっせと水を染み込ませていく作業のよう。
非常に地味です、非常に。
けれど、「分かる人には分かる」「響く人には響く」
しかし、自分自身がそうであるように、世にある全ての物事を本質まで理解したり、目の前にある提言の「裏にある思い」まで掬い上げることは容易ではありません。
「Aという状態が、Bという状態に変化しますよ」と言われても、そう提言をしている人は一人ではなく、正直、生活を営む中では「もっと大切な私的なこと」が山ほどあります。「自分が思うのと同じ熱量で、お客様が自分のサービスや商品の事を考えてくださる」のは稀です。
けれど「分かる人には分かる」「響く人には響く」のも一つの事実。
派手なプロモーションを打ったとしても、理想のチームで動けたとしても、その裏では一つ一つコツコツと積み上げるしかない時もあるわけですので、何にせよ「分かってくれる人はいる」ということを忘れずに発信・行動されることをおススメします。
これは時に辛く、手ごたえのないものでもありますが、自身の活動に対する「願り」であり「祈り」に他ならないとも思います。そしてそれこそ、幸運の呼び水になる様を何度も目撃しました。
10万人くらいの方には”合う”考え方
深刻になりすぎず、そのくらいの重量でいた方が、長く安定的に続く気がしてやみません。平々凡々たる私がそうであるということは、少なくとも10万人くらいの方には適応する考え方えはないかと思います。
笑う門には福来る。