「ワケもなく好き」にはワケがある
何かに対して「ワケもなく好き」と思うことがあります。理由も根拠もないけれど好きだと感じ、心を惹かれ、引力に抗えず、心が真っすぐ「yes」だというものですね。そして、その時は「ワケもなく好き」だと思い、ただそこに手を伸ばして心を分けるのですが、後からその理由に気づき、辻褄が合うという経験を重ねています。
「好き」には、自分らしく生きる成分とヒントが隠されている
私の場合でいうと、例えばお香。特に白檀。
ある白檀の香りに触れた時、その香りや煙の中に特別な”何か”を感じ、その思いが高まり募り続けることになりました。これまでも白檀のお香には触れてきましたが、こちらの工場で作られる白檀は特別。その中でも更に特別な一点にを見つけたく交渉を重ね、完全特注でお取引を開始することが出来ました。そして、今では中国やヨーロッパからも選んでいただけるように。
私自身、当初も販売開始後も「ワケもなく好き」だと思っていましたが、しかし、最近、その理由を理解し、腑に落ちたのです。頭の理解よりもずっと先に、潜在意識や第六感、五感や直感を通して、「不純物を限りなく排除した白檀のお香」の持つ力を感じていたのです。(こちらはじきに新しいサービスとしてのリリースがございます)
また、盆栽にしても同様です。
こちらも「ワケもなく好き」が続き、盆栽における一般的な解釈を知ることで盆栽の輪郭を眺めていましたが、やがて「私にとって必要な概念と世界観が集約され、具現化された姿」であることに気付くことに。ここでも頭の理解を超えた力でキャッチしていたことを知りました。
そうやって、自分の中で謎が解けていくたびに、「ワケもなく好き」に真っすぐと手を伸ばすことこそが「自分の真実」へたどり着く唯一の道だと感じるばかりです。「好き」には、自分らしく生きるための成分やヒントが隠されており、「好きじゃない」「嫌い」には、自分らしく生きる道を遠ざける成分やヒントが隠されているのですね。
運命。けれど、そこから先は自由意志
けれど、それらに毎日出逢えるということはなく、私の場合は数年に一回。あるいは十余年に一回程度です。今世でそれらに出逢えるのは、もしかしたらあと一回か二回程度かもしれませんね(と信じています)。が、私の目が曇っていたら、微かな僅かなヒントを見逃し、全ては手の平からすり落ちてしまうのでしょう。運命とはそれほどまでに繊細で、「そこから先は自由意志」だと思い知らされます。
だからこそ、私は自分を律し、肯定し、少なくとも自分にだけは嘘をつかずにおらねば。と思うのです。