パンツとパンティ
最近、娘に「私のはパンツ。ママのはパンティ」だと言われました。
確かに、娘が履いているのはキッズのパンツ。日本の全国の小学生女子とその親御さんが選んでいる普通のもの。
対して私は、ほぼレース。個人的に、「それは履く意味ある?」というものや、無駄にセクシーなものが好きです。
誰に見せるわけでなくとも、オーバーサイズの服を着ている日でも、そういったセクシーな下着を身に着けているだけで、自分の姿勢が良くなり、雰囲気や表情に艶が乗る気がしています。(そして、それは恐らく事実)
コロナ前にはスパなどにもよく行きましたが、更衣室でもセクシーなデザインを選ばれている方を、ついついチラ見してしまうという変態じみた行為も(無意識で)してしまっておりました。
やはり、花のような女性性や、香るようなエロス、蜜のような艶には目を奪されてしまいます。
しかし、これは既存の社会や概念から「女性はこうあるべし」「理想の女性像」を刷り込まれただけなのか?と自分を疑ったこともあるのですが、遡れども遡れども、私の個人的な嗜好のようでした。
心が喜ぶもので世界を埋め尽くす
今はパンツも冷え防止用やユニセックスなもの、女性性から解放されようといった趣のものまで多種多様に存在しています。コスパもピンキリ、色もデザインも選び放題。
そして、それらはそれぞれに主義主張やメリットを叫んでいますが、唯一言えるのは、自分の好きなものを選べばよし、ということ。
それぞれの言い分や、誰かの提言よりも、自分が心地よく、後ろめたさもなく、ワクワクし、重きを置いているものを選べばよい。
そんな中で、私はラインやフォルムを美しかったり、「女性性を際立たせる以外の用途はなし!」みたいなものが好きであり、エロスや艶、もっと言うのであれば「上から目線」を感じるものが好きです。
好きなものは好きでよいし、心が喜ぶもので世界を埋め尽くす。そのために、一つ一つ丁寧に選び、手放す時期が定期的に訪れます。