好きなことをすると直感が冴える
生きるため、自分が自分らしくあるため、責務を果たすため、思いを果たすため、志のため…
私たちは様々な理由からお仕事をするわけですが(もちろん、お仕事をしない人生も、徒食を望む人生もまた素晴らしい)、しかし、違和感の感じること、居心地の悪い場所に居続けると直感やセンスのようなものが鈍っていきます。
好きから始めたお仕事だとしても、疲れすぎていたり、忙しすぎていても、五感や第六感は閉じてしまう。
お仕事においてなぜ五感や第六感が大切かというと、結局のところ、最終判断はそれらに頼ることが多いからです。
一致しない現実
データや数字を入力すれば同じ結果が出るはずなのに、お仕事や生き方においては、そうもいかない。
世界的な企業でさえ人心を読み間違える時がある。天才たちでも読み切れない流れやチカラがある。
腕よりのコンサルやカウンセラーに聞いても答えは一致しないし、医師の見解だって一致しない。そして何より彼らは実人生における責任は取ってはくれないし、過ぎた時間は巻き戻らない。
故に、何事においても最後の最後には自分の五感や第六感、心の声を聞き、自分の責任の下で選択していく胆力が大切なのです。
「仕事が好き」と言い続けてきたけれど…
とは言いつつ、私は長らく仕事ばかりしてきたので趣味や好きなことがありませんでした。
会社員だった10年ほど前も、仕事で結果を出すのは楽しく、チャレンジし甲斐があるのですが、「幸福か?」「満たされているか?」と言われるとちょっと違う気もする…そんな毎日を過ごしていました。
映画も読書も一人旅も好きですが、LOVEなのか?というと、なんだか違う。
結果、話すことは会社の仕事のこと。今の仕事のこと。そこからイメージする僅かばかりの未来のこと。なんだか自分で自分をつまらないと感じる。
(今は違いますが)若かりし頃の私は趣味や好きなことがないから、仕事をして時間と思考を消費していたのかもしれませんね。
暇になると不安になったり、どうでもいことを考えてしまうのは人の性。それに耐えられないから、過分なまでに「仕事が好きだ」というフリをしていたのかもしれません。
そして出逢う、盆栽LIFE
…と言いつつ、実際にはお仕事は大好きですし、もしも数十億円の資産を手にしたとしても、やはり何かしらのお仕事や活動はしたいのですが、あらゆる出逢いは突然にやってくるもので、この春からは盆栽にハマっております。
そして、ある時から
盆栽仲間と「普通の人が普通の家で普通に暮らしながら盆栽を楽しむ本」を出したいー
と思うように。
根拠も何もありませんが、そんなことを念願し、それにちなんで? 盆栽専用Instagramアカウントを作りました。
盆栽専用Twitterもあるので、どれだけ盆栽LIFEなのか?という話なのですが、好きなものがあると毎日が豊かに潤い、癒しや無心の時間が生まれます。そして、それらが頭の余白や静けさ、集中力や瞬発力を引き出してくれているとヒシヒシ。
また、「ただ私が癒されるから」と真っすぐにハマった盆栽ですが、盆栽が様々な方との共通言語になり、お仕事が決まることも(全く予期せぬこと!)。
話が逸れましたが、ぜひフォローくださいませ。
そして思う、好きなものとの出逢い方
そして思うことは、「好きなもの」は「予期するものの中にはないことが多い」ということ。
必ずしも直接的に仕事に結びついたり、収入に繋がったり、時代の流れに沿ってはいないということ。
下心や戦略の中にはないかもしれないということ。
今、自分が観ている世界の1mm外にあるかもしれないということ。
と言いつつ、既に出逢っているものに出逢い直す場合もあるということ。
一瞬の直感や、色鮮やかに見える「あれ…?」を見過ごすと、また数年は巡り合えないかもしれないということ。
そして、それは人生の中で何十回もないかもしれず、あと1回、2回かもしれないということ。
ピンときたら、真っすぐに手を伸ばしてみることをおススメします。
「好き」だと感じるものには、あなたがあなたらしく生きられる成分があるから「好き」だと感じ、「嫌い」だと感じるものには、あなたがあなたらしく生きられない道に続いているから「嫌い」だと感じるのです。(恐怖や不安、不慣れはまた別)